永遠の命
『peerちゃんは、永遠の命を持っている。』
こう言ってしまうと、
この世では「じゃぁ、なんで生きて見えないの?」と問われてしまう。
その問いには「次元が全く違うから。」としか今は言いようがない。
~生きてわたしを信じる者は永遠に死ぬことはない。
たとえ死んでも生きる~
ナザレのイエスさまはそうおっしゃった。
おぞうたまがその次元を見つめ、置いていらっしゃる。
今日、peerちゃんの一周忌。
セッションでpeerちゃんを取り上げていただいた。
私は今でもpeerちゃんを助けられなかったことを後悔していた。
peerちゃんがいないという私の問題に統合のワークした。
かなり激しく気持ちが動揺し、泣きじゃくっていたが、
統合をし終え、また私の問題を一点を見つめて口にする。
「私の問題は、peerちゃんがいないという現実です!」
あれ?なんか、おかしい。。。この問題、違和感がある。。。
ふっと笑いが出た。
手を胸の前で合わせ、目をつむる。
胸のあたりに落ち着きのある広大なスペースがあることに気づいた。
静かな、本当に穏やかな感じ。。。
そこに留まっていると、peerちゃんを感じ始めた。
peerちゃんがどんどんと迫ってくる。
生きている!
あぁ!ここにいる!!
これが永遠の命なのだ!!!
見たのではない、経験させていただいた。
永遠の命の次元。それはある。
これは、悲しいから、寂しさに耐えられないから
そう妄想しているのでは、決してない。
さっきまで、もう二度と会えないpeerちゃんを求め、
会いたいと言い、泣いていたのはこの世だ。
けれど、今経験したのは、永遠の命を感じる次元への移行。
この世界がある!という確信。
あまりにもこの世とは違う。。。そう感じていた。
------
セッションに来る車の中、イエスさまは私にサインを送ってくださっていた。
最初のサインは、道路に横たわったグレーの物体。
前を走る車が、大きく弓なりに避けていく。
猫ちゃんの死体?私はハッとし、イエスさまに祈ろう。
そう思いながら通る。
グレーの物体。。。
見たのは、黒が汚れてグレーになった、ただの服だった。
私は安堵した。良かった。。猫ちゃんじゃなかった。。。
そして、カーブを曲がった。
と、また道路に服が落ちていた。
今度はすぐに服だと分かるチェック柄だった。
こんなに服が落ちてるだなんて、おかしなことがあるもんだな。
そんな風に感じていた。
そして、道中の信号待ち。
私はセッション代の入っている封筒をカバンの中でゴソゴソ探していた。
ない!確かにカバンに入れたのに!
あっ!さっきポストに入れた2通の奨学金申請の封筒に挟まれてたんだ!
私は時々封筒が折れないようにと、何かに挟んでカバンに入れる。
間違いない、あれだ!
あぁーーーー、やってしまった。。。
ポストに入れる時、なんか嫌な予感がしていたんだよなぁ。。
2通だから、余分なものが間にないか?確認しようかなってよぎっていたのに、
まぁいっかと入れたばっかりに。。。
信号待ちで、地元の郵便局の電話番号を探し、
後で電話をしようとしている私は、それはもう心拍数が上がってしまって、
一気に汗が吹き出るぐらい焦っていた。
頭はお金に対する他人への疑いが現れ、
郵便局に電話したって、集荷した人が「なかったですよ」と言われたら、もう戻ってこないかも?
どうしよう。。私がポストまで戻って、集荷まで待って、
実際に自分で確認できたら、どれだけ良かっただろう。
でも、時間がない!
まずはおぞうたまにこのことを話そう。
そう思いながら、心臓バクバクのまま運転していた。
気が気でない、運転どころではない、お金の所在のことだけしか頭になかった。
ナザレのイエスさまが導いておられる。
一瞬、頭をよぎったが、なぜこんなことをされるのか・・・。
皆目見当がつかなかった。
あんまりですよ。。。イエスさま。。とトホホになっていた、その時、
後ろに置いた宅配物に目をやった。
そこに、チラッと封筒の口の部分が見えていたのだ。
あーーーーー!ここ?!
まさかの展開。
確かにカバンからその宅配物は出した。
けど、お金の入った封筒も一緒に出していたなんて思いもしなかった。
そもそも、手触りで分かる。全く身に覚えがない。
でも、何はともあれ、あった。。。
ふぅ。。。と一息をつき、イエスさまに感謝した。
この時の感謝は、あって良かった。。。無事自分に戻ってきたことへの感謝だった。
あぁ、イエスさまは見捨てないお方。。。そんな風にありがたがっていた。
これらのことが、何らかのサインであることは感じていたが、全く意味は分からなかった。
peerちゃんの永遠の命の次元の経験の後、
おぞうたまにこのことを話した。
おぞうたまからサインの意味を聴かせていただいた。
一つ目の道路に落ちていた服。
これは、このゆらぎの世界に現れる死すら、
ナザレのイエスさまのカモフラージュであるということ。
本当は死んでいない。
サインにあった服が横たわっているのと同じなのだということ。
そしてもう一つ、お金の入った封筒がなくなったというサイン。
これは、『お金はイエスさまが与える』ということ。
奨学金も、封筒のお金も、イエスさまから来る。
ないもあるも、すべてイエスさまの導きなんですよ、とおっしゃられているのだと言う。
なんて世界だ!
ここは絶対信頼の世界なんだ。。。
自分がいかにこの世しか見ていないかを教えていただいた気がした。
と同時に、すべてがイエスさまの計らいの世界であるということを、
経験と同時にサインを与えてくださった。
面白い世界である。
私は新たにナザレのイエスさまに感謝した。
ナザレのイエスさまへの感謝は、先ほどの自分にとって利点があったからではなかった。
ありがたがるのではない、感謝。
まさに湧き上がってくる敬服、私にも経験させてくださることへの感謝。
それはこうして伝えてくださるおぞうたまへの感謝でもある。
導き手は、ナザレのイエスさま。
けれど、おぞうたまがいなくては、その導きもすべてがこの世が翻訳して、
誤情報としてインプットされるか、そのまま気づかれることなくスルーされる。
私たちはおぞうたまの世界にいる。すべてをイエスさまが導いておられる世界。
そこは、永遠の命の次元を見据えた世界だ。