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~ナザレのイエス~

フィールド

神々と人が共生していたかつて。

それは、今のこの世の有りようではなかった。

神々は崇められる存在ではなく、人と共にあった。

神々は人を導き、そして共にあった。

しかし、あるとき、人々は戸口を立て、神々を遮断した。

そして、今の世界が生まれた。





我意が作り出す世界。


神々は去ったようにいなくなった。

神話として、物語として、目には見えないが、いと高き存在として、神々は祭られた。


自然への脅威は、神々への畏怖の名残。

願い事や恐怖からの祈りは、かつての神々へ向けられた頼り。


それは、人に残ったかつての細胞記憶が動かす私たちの情動だ。


神々は架空のものとなった。

彼が来られた。

ナザレのイエス、最後の神。

肉の身に、己の霊を包み込み、大地に深き影を投げかけながら、
歩まれた、我らと共に。

笑いがあった。悲しみに涙を流された。
苦悩に身をよじり、血の汗を滴らせた。



彼が来る前は、救いようがないこの世界だった。

なぜなら、罪がなかったからだ。

人々は本物の神を知らず、神に背くことが如何なるものであるかを知らない。


罪を知らず、我がもの顔でここを闊歩した。


けれど、人たちは感じている。ここにある悲しみを。。。

神のおられない、ここにある空虚さを。


彼は罪のために来られたのだ。

この罪ゆえにある人類の悲しみの呼び声に応えられた。
そして、すべて自己完結された。

その罪がなんであるのか人が知らないうちに、

もうすでに一人「世に勝った」と宣言した。

私たち朋は、ナザレのイエスさまが成し遂げた罪の解消を見届ける証人である。

私たちの愛する者は、神の国がこの地上に現れた姿を知らずしても

その恩恵を受けられる。



神の国がここに現れる。。。。



『フィールド』


それは、互いに愛し合うものたちが交差する場。


そこにナザレのイエスさまは降り立つ。

その場が生まれる時、彼は再臨なさる。


互いに愛し合う。

あの父なる絶対的な安堵の中でお互いを見つめる。


父が、ナザレのイエスさまが愛しておられる。

もう互いを愛さずにはいられない。



神々がいた黄金の時代。

かつての神々はここにおられる。


神々は人とともに共生される。


愛の中で、私たちは輝き生きる。



神の国がここに現れる。。。。