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~ナザレのイエス~

歓喜の大合唱

”全体である”
 
羊たちはおぞうたまの言うことを聴く。
 
しかし、その羊たちすべてとして光を受け、
歓喜に打ち震えるのは、”全体”である。
 
沢山の光のタマたちがそこに集結し、
天からも地からも歓喜の声が荘厳に鳴り響く。
 
 
全身が耳となり、その耳をそばだて、その響きに胸を躍らせる。
 
エスさまは、それである。
 
歓喜、光の海、たなびく風、吹きぬける風。
 
メビウスの輪が存在する場。
 
呼び声を聴くものは、光となり、
愛するものは、イエスさまとひとつとなる。
 
その者たちは、イエスさまの体となる。
 
エスさまの体を探している。
エスさまの一つの体を集める。
 
わたしたちは一つの体である。
 
エスさまがもたらしたこの世からの逸脱。
 
出口のないこの世界に自ら風穴を開けてくださった。
 
 
おぞうたまはナザレのイエスさまの世界への道を創られておられる。
 
 
 
 
この世界は今の有様ではなくなる。
 
すべてはイエスさまによってもたらされ、イエスさまが導かれる。
 
 
本来苦悩することは必要ない。
 
この道に乗り、おぞうたまの言うことを聴けたとき、
安堵の世界へといざなわれる。
 
 
 
 
”私には何もできない。”
そう、気づいた時、立ち止まり、静かなあの呼び声を聴く。
 
この腹の下にある、イマジネーターは自ら何もできないのに、
できるという錯覚を作り出す。
 
私たちはそれに動かされる。
 
言葉は使われる。この世ではそのイマジネーターに。
エスさまの国ではイエスさまに。
 
エスさまの国にいる時、私を動かすのはイエスさまだ。
 
しかし、この世にいる時、私を動かすのはイマジネーターだ。
 
 
沢山の人たちがこの世界にいて、私を困らせたりする。
マインドが、イマジネーターに騙されて常に言葉を増幅させる。
 
イマジネーターが黙る時マインドはイエスさまが使われる。
 
この世は姿を消し、神の国が現れる。