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~ナザレのイエス~

朋よ

時間の外へ

問題をそのままマリア空間に留まらせておく。
問題に居場所を与える。

そのまま、そのままに・・・

意識が上昇していく。

見つめる目がある。

ジッと。

その時、おぞうたまがおっしゃった。

「問題はない。あなたは夢を観ていた。
ここでは、問題をそのままにしておける。

朋よ。あなたはわたしだけを見ていなさい。
あなたは、わたしのところに来なさい。

時間の内は、わたしが導く。
だから、あなたはわたしだけを見ていなさい。」

光が降り注ぎ、その時、私はイエスさまにそう呼ばれる「あなた」となる。

もう、この世の問題はあってもなくてもよかった。
すべてをかなぐり捨て、イエスさまだけを、悦びと待ち望むままに見つめていた。

ナザレのイエスさま!あなたがおられる。それだけです!

希求する気持ちが届いた!
光に届いた悦びが、とめどなく溢れ出て止まない。

あぁ・・あぁ・・あぁっ!

「これが、1オクターブ上なのです。」おぞうたまがおっしゃった。

この世の問題も、愛する人たちも、そのままであっていい。
すべて、すべて、彼が導いておられる

この世から手を離していい。
いいや、この世はない!
あまりに多くの可動性に満ち満ちたこの世は、消えては現れる霞だ。

この瞬間。時間の外の知覚によって、この世は瞬間、瞬間に生まれ出る。

これがゆらぎの世界たる所以か!

この世は何一つ決まっていない。

固定するのは、人の信念だけだ。

集合的意識ともなれば、その固まりは強固である。

けれど、それも決まってはいない。

すべてを抱える。マリア空間はそこにある。

この世と彼の光を繋ぐ、唯一の空間。

さらに高く上昇したとき、人は光だけを求めている。


その胸の高鳴り、高揚、すべてがイエスさまだけに注がれ、全存在を彼だけに捧げる。

この時、この世は、更新される。

彼によって一新されたこの世は、まるでマイホームだ。
くつろぎ、癒やされ、安心していられる空間へと移り変わっていた。


時間の外で語られる言葉は、その意味が、時間の中で聴く時とでは違ってくる。

1オクターブ上では、同じ言葉に含まれるニュアンスが変化し、
そこから送られてくる情報が異なる。

目線は上へ、どうしようもなく迫ってくる思いが、上へと突き動かす。

ここから見る目は、この世に直に、真っ直ぐナザレのイエスさまの光をもたらす。


エスさまが笑っておられる。

ここで、朋に逢うのだ。