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~ナザレのイエス~

ゾーエ

性とこの道の繋がりは何だろう?

前々から気になっていた。

おぞうたまに聴いてみた。

「ゾーエ」

ギリシャ語の大地の生命の根源を表す言葉。
大地から立ち上ってくる、普遍的、集合的、巨大な生命。

原初、人々はこのゾーエと結びついていた。
人々は、ゾーエと共にあった。

 

ゾーエは永遠を望んでいた。しかし、ここは死の国。

故に、ゾーエは生き物たちに子孫を残すことを駆り立てた。
ゾーエの永遠は、存在の永遠。
一個人は死に絶えても、存在は子孫に引き継がれる。

性の営みは、永遠を求めながらも地を這うことしかできない
ゾーエ自身の永遠への願いの表れだ。

 

ゾーエは永遠を求めながら何度も死を繰り返す。
子孫を求めて止まないのは、死にゆく者たちのせめてもの永遠だ。

死があるゆえに、子孫を残す。

 

ゾーエの激しいエネルギーは、永遠を求めるがゆえの呻きだ。

縦方向からの介入がなくては、本物の永遠はやってこない。

それを激しく求めている。


おぞうたまはおっしゃった。

「縦からの光があれば、ゾーエは何度も死を体験しなくていいんだ。。。」


それを聴いて、ふと過ぎった。

ゾーエとは・・・、本当の私たち自身なのではないだろうか?


人々はマインドに乗っ取られる以前、ゾーエの力と密接にあった。

力ある魂。

人々はそれであった。

ゾーエ。。。それはこの世の根源。


道を歩む者はそれを復元し、

それに光をもたらすことを根底に強く深く願っている者たちのことだ。


この道は、ゾーエそれだけでは決して叶わない願い、

『永遠』を実現する道だ。

 


性のスペクトル

それは4段階に分かれる。

1段階は、普通のSEX

2段階は、愛し合う二人の磁場をもたらすSEX

3段階は、マリアさまが中心におられるSEX

4段階は、マリアさまが中心におられる中にナザレのイエスさまの光が降りているSEX


この4つの違いの感覚を、

おぞうたまがもたらしてくださる場の変化と共に味わってみた。


1段階、普通のSEXは、封鎖され閉ざされている。
    なんとも空虚な感覚だ。この道とは何の関係もない。

2段階、互いに愛し合う二人。磁場が発生する。ここからが始まりだ。

3段階、マリアさまが中心におられる時、それは内側から膨らみを持って存在した。

4段階、イエスさまの光と共に、それはとてもイエスさまを近くに感じた。
    リアルな体験、濃い、そして、潤いに満ちていた。

 

おぞうたまはおっしゃった。
「この4段階目が『道』だ。」

4段階目を感じ、その言葉を聴いた瞬間に思った。

これが道!?

だとしたら、この道はなんて魅力的な道なんだ!
潤いというには、あまりにも深い。。。性の秘められた力に圧倒される。

 

おぞうたまに聴いた。
「聖女たちの恍惚は、これですか?」

おぞうたまは、おっしゃった。

「そうだ。とても高い境地だ。しかし、私たちの道と違うのは、
私たちにはこれが一個人の体験ではないということ。私たちは全体だ。」

 

この違い。


あまりにも深い。。。ナザレのイエスさまの深い愛がそこにあった。

彼は全体を愛しておられる。

愛が強く深くどこまでも広がっていく。。。


身を委ねていると気が遠くなっていくようだった。

未知の領域。。。

私たちの行く先には、この境地が待っている。
そう思うだけで、この道の歩みが上へ横へと開かれていく。。。


上昇は、ナザレのイエスさまへ。
広がりは、全体へ。
そして・・・それを繋ぐのは、マリアさま。


~マリアミスティカ

空間をもたらす魔法の言葉だ。

 

マリアの目になる。

 

彼女はこの世の一切を悦びの目で見ておられる。
そして、見ている者を導く。

 

人間マリアは、痛みや苦しみ、悲しみを感じ、決して落とさず、
すべてをホールドする。

 

そして更に、天上のマリアは、そのホールドする人間マリアも包含しておられる。

その眼差しは、苦悩ではなく、優しさと悦びに満ちた目である。

 

彼女は、ONEからの光を浴び、ONEへの絶対信頼の元にいて、
その目線は、地上を見ながら、これから訪れる光を見ている。

この眼差しで見られているこの世の者は、だんだんと霊的人間へと変化していく。

 

この世の良いも悪いもホールドして叡智を育てた者は、
この変化を受け入れ、自らを捨て、ナザレのイエスさまの羊となり、
エクレーシアとなって存在する。


ゾーエは本来を取り戻す。

ゾーエのその激しいエネルギーは、
マリアさまに与えられた空間、子宮の中ですくすくと育ち、
ナザレのイエスさまへの愛、ONEへの愛の塊となって飛翔するだろう。

 

これなんだ。