自由
『自由』
私の将来の夢は「芸術家」です。
私はこの三年間に多くの芸術家に会いました。
ピカソから始まり、ゴッホやモネ、ロートレックなど、
様々な時代生きる彼らです。
私は本や美術館などで見た彼らの絵画に圧倒させられました。
確かに彼らの絵は生きていたのです。
私が私であるようになったのは、ここ一年の話です。
ある意味、今までの私はそこで死んだのです。
その頃から世界が狭く感じました。次第に孤独を感じるようになりました。
そして私は『孤独』を描きました。
私の芸術は孤独から始まったのです。
ここまで話を聞くとまるで暗い自叙伝のようですが、安心してください。
これはただの自叙伝です、声明文でもあります。そう、下手な自叙伝、声明文です。
苦しい人はしばし、耳を塞いでいてください。
私は自分を殺すまでに「普通」ということを考えました。
考えれば考えるほど苦しくなっていきました。
人々はいったい何を常識として普通などと言っているのか、謎が深まるばかりでした。
何かを断定してしまうほどつまらないものはないです。
私は常に、私を殺す前から
ルールや普通に縛られ続けた私が大嫌いだったのかもしれません。
だから何かを破壊するために、もともと好きだった絵を描きました。
それが偶然的に芸術につながり、私は彼らに出会ったのです。
彼らの絵を観ていると、まさにそれが生きているのを感じさせます。
決して「過去」という枠を感じさせないのです。
では、そもそも過去とは?
私が思うに、「過去は存在しない」のだと思います。
しかし、存在させようとすることもできます。
それは、人が過去を存在するものと決めるからです。
そして、今現在、その過去はもう存在していないのに、まだあると思っています。
過去は存在しないのだから変えられる。私は本気でそう思います。
いや、思うことにします。その方がよっぽど楽しいからです。
もちろんこれは理にかなったことではないのかもしれません。
しかし、芸術がそれを見せてくれています。
彼らの芸術が生きているのは、私が生きているからなのです。
芸術を観て、圧倒させられた私がこうして生きているからです。
こういうと、絵を利用し、芸術に理解をあたえてしまう評論家の様ですが、
見方の一つとして受け取ってください。
これから私はどうなっていくのでしょうか。
私の芸術はどうなるのでしょうか。もしかしたら「孤独」で終わるのかもしれない。
いや、決してそれはないでしょう。
もし私の夢が叶うのであれば、彼らと同じように、私は無限の中に生きるのです。
決して縛られず、自由の中で私は描き続けるのです。
だから私は戦います。
私を、彼を、そして世界を自由から縛り続ける敵と、私は戦い続けます!