peer

~ナザレのイエス~

自由

f:id:sekai113117:20190310104853j:plain

『孤独』

 

 

 

『自由』 


私の将来の夢は「芸術家」です。


私はこの三年間に多くの芸術家に会いました。

ピカソから始まり、ゴッホやモネ、ロートレックなど、
様々な時代生きる彼らです。


私は本や美術館などで見た彼らの絵画に圧倒させられました。
確かに彼らの絵は生きていたのです。


私が私であるようになったのは、ここ一年の話です。
ある意味、今までの私はそこで死んだのです。

その頃から世界が狭く感じました。次第に孤独を感じるようになりました。
そして私は『孤独』を描きました。

私の芸術は孤独から始まったのです。


ここまで話を聞くとまるで暗い自叙伝のようですが、安心してください。
これはただの自叙伝です、声明文でもあります。そう、下手な自叙伝、声明文です。

苦しい人はしばし、耳を塞いでいてください。


私は自分を殺すまでに「普通」ということを考えました。
考えれば考えるほど苦しくなっていきました。

人々はいったい何を常識として普通などと言っているのか、謎が深まるばかりでした。

何かを断定してしまうほどつまらないものはないです。

 

私は常に、私を殺す前から

ルールや普通に縛られ続けた私が大嫌いだったのかもしれません。

だから何かを破壊するために、もともと好きだった絵を描きました。
それが偶然的に芸術につながり、私は彼らに出会ったのです。

彼らの絵を観ていると、まさにそれが生きているのを感じさせます。
決して「過去」という枠を感じさせないのです。


では、そもそも過去とは?
私が思うに、「過去は存在しない」のだと思います。

 

しかし、存在させようとすることもできます。
それは、人が過去を存在するものと決めるからです。

そして、今現在、その過去はもう存在していないのに、まだあると思っています。

過去は存在しないのだから変えられる。私は本気でそう思います。
いや、思うことにします。その方がよっぽど楽しいからです。

もちろんこれは理にかなったことではないのかもしれません。
しかし、芸術がそれを見せてくれています。


彼らの芸術が生きているのは、私が生きているからなのです。

芸術を観て、圧倒させられた私がこうして生きているからです。

こういうと、絵を利用し、芸術に理解をあたえてしまう評論家の様ですが、
見方の一つとして受け取ってください。


これから私はどうなっていくのでしょうか。
私の芸術はどうなるのでしょうか。もしかしたら「孤独」で終わるのかもしれない。

いや、決してそれはないでしょう。

もし私の夢が叶うのであれば、彼らと同じように、私は無限の中に生きるのです。
決して縛られず、自由の中で私は描き続けるのです。

だから私は戦います。
私を、彼を、そして世界を自由から縛り続ける敵と、私は戦い続けます!