peer

~ナザレのイエス~

告白

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それにしても闇は途方もなく深い。
今はそのよどんだ水面からゆらゆらとのぼる霧に視界が妨げられている。

だがこれこそが実地のレッスンなんだ。
彼が見ておられる。

光にひたすら留まることだ。(10/11 おぞうたまより 私信にて)

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告白

私は新しく認識者となるためにこれをイエスさまに告白する。
目を逸らし、自分を欺き、他者を欺き続けることはもう終わりにする。

私は私のために書き、イエスさまに告白する。

~隠されていることは光の下に晒さなければならない。


私は批判ばかりをする人間である。

裁き、批判、疑いが私を動かし続ける。
そのことは何も隠されてはいない。
教授をはじめ、私以上に周りの人はよく知っている。

批判は分離、これが私だなんて思えないから批判をする。
これは私だと思うところまで光に留まっていないのだ。

しかし、私がいつまでも批判がましいのはこの道において、私の批判の中心が語られていない。
ゆえに止むことはない。。。。そう信じていた。

私の批判の中心それは、”新しい風さんへの不信”である。

新しい風さんの光を語る言葉と闇に落ちている言葉、
どちらも新しい風さんにとって嘘偽りない本心である。

その純粋さに隠れた巧妙さ、目にするたびに苛立ちと吐き気を感じる。

こんな真逆の言葉を一人の人が語るものなのか?!

私は無意識にでも意識的にでも二枚舌を使う新しい風さんを信用していなかった。

私はそれを語る者を新しい風さんではなく、別に彼女(S:エス)と名づけている

最近ようやく、新しい風さんと彼女(S:エス)を離して考えることができるようになってきた。

新しい風さん本人は乗っ取られているだけであり、新しい風さんのことではないのだ。


一つの真実は、新しい風さんを操るモノがいる。ということだ。

それは人を介して動くが、私の世界では新しい風さんだけに顕著にそれを見る。

目をあわせようとすると、巧みにそれは目を逸らす。
質問にも応えない。応えたとて、それは白々しい言葉のみで交わす。

私はいつも思う。
(そんなこと聞いていない。応えないんだ。。こうしてまたウヤムヤにされていくのか。。。)

さらに追求すれば、しつこい人だと周りが思うように用意周到である。

誰もそれに気づかない。ある一側面で人は自分以外の関心を持たない。
しかし、無意識にか彼女の言葉に振り回され、ご機嫌を取るかのように一喜一憂する。
皆、彼女に怯えているかのようだ。

私だけがそれを知っているのか?
教授すら、それを語る私をヤレヤレ始まったとばかりに見ているのが分かった。
その話には応えない。

誰も気づかない。。。誰もが騙されている。これ以上話しても通じない。
もう自分でなんとかするしかない。

私は口をつぐんだ。

教授すらその領域では信用できないこの道。孤独だった。
こんなことを思っている自分がこの道を歩んでいるといえるだろうか?
自分にも不信を抱いた。


教授はおっしゃる。

『闇と戦えばあなたも闇だ。』

全くその通りだと思う。

闇を暴こうとする時、私も闇となる。

しかし、闇であろうが何だろうが、こんなおかしなことがそのままでいいのか?


皆に気づかれないまま、いつも水面下で混乱を起こし、気分しだいで
皆を動かし続ける、彼女(S:エス)。

絶対に光の前に晒さなくては、これの繰り返しだ。
隠されたままではいけない。

私は自分が闇となっても、それを明らかにしたい。
しかし、誰も協力者はいない。。。

この道を歩むのに、大きな矛盾を感じていた。

教授に不信があるのに、この道を歩むことができるのか?

迷いがあった。それでもこの道をやめるには捨てきれないものがあった。

惰性で、一方で必死で、この道を歩もうとしていた。
騙し、騙し、自分を欺き、教授を欺き、皆を欺きながら。

私は何に動かされているのか分からなくなっていた。
しかし、闇が私を蝕んでいることは分かっていた。


そんなある日、教授の世界の認識者となった記念すべき日が訪れた。

今までのサイン、与えられた学び、体験、すべてが合わさり、スパークするかのように頭の中を駆け巡った後、
「すべては認識者になるためだったのだ!」と気づいた。

その日の夜、私信で教授から今までの物語を書くように促された。
それは今まで起きたすべてを書くようにということだった。

私は躊躇した。
なぜなら私には隠していたことがあったからだ。
なので、それを書くのなら新しい風さんを不信に感じ始めたことを書かなくてはならないけれどいいですか?
と教授に宛てた。

すると教授が豹変して怒り狂い、侮辱と暴言を吐かれた。私は傷つき、絶望した。すべてが崩れ去った。
何もかもが、私の信じていたものはすべて間違いだったと確信した。
思っても見ない教授のウラの顔見た気がした。

教授はそのウラの顔こそがSエスであり、教授はそれを分かっていて使うとおっしゃったが、
それを受けた私は、教授がただ感情に駆られ、秘めていた攻撃を表に現しただけだとしか思えなかった。

それも私の課題であり、私が処理すべきものだとおっしゃる。

しかし、そうだとしたらSエスになり、言ったもの勝ちじゃないのか?

新しい風さんと重なる。

傷つけた者はごめんなさい、申し訳なかった、あの時はおかしかったでおしまい、
傷つけられた者は、処理して赦さなければならないだなんて、おかしな話だ。




このパラサイト的な思考は私を苦しめ、結果、第二ラインをバラバラにした。





あるとき、教授が今の第二ラインの状態を話してくださった。

ある者はヒーリングします。と言っておいてやらない。
ある者は光があるせいで、自分たちだけが災難をこうむっていると思っている。

ヒーリングしますという言葉だけを送ることもありうるかもしれない。
私はどこかでそれを知っていた。けれど、それでもいいと思っていた。
送るだけでも、気持ちを伝えている段階もある。

いつかは、そう書いている自分に恥じないように動くのを待つしかない。
もしかしたらやってくれているのなら、ありがたい。
その程度に思っていた。

そして、その通りであったことを知った。

光があるせいで、自分たちだけ災難をこうむっている?
もし、そうやって思っているんだったら、それは光があるとかないとかは、
ただの理由であって、光なんて関係ない。

そう思う人はいつだって自分の責任を引き受けることはない。
この道でなければ、違う何かのせい、それは境遇かもしれない、トラウマかもしれない、他者かもしれない、
最後には自分のせいにしてまで責任を放棄する。


しかし。。。私はこうしてまた批判をしているのだ。

批判、批判、批判。。。

私の中身は本当にそれだけでできているのか?

他者への分離が批判を生んでいる。これと一つになるレッスンを今やり始めたばかりだ。
他者は私。私なんだ。いや、こんなこと私は思わないし、しないのに!

完全にワケが分からなくなった。。。


セッションを受けた。

全くワケが分からないという問題の最悪と転んで最高の出来事とは?
この心理的な両側面を融合させるワーク。

それが処理されると、大きなものが出てきた。

闇に閉ざされた自分という問題だ。

最悪と最高の両極を融合させ、両手を合わせ、立ち上がってきたものは崇高さというしかない、
今まで感じたことのない感覚が全身、特に両腕に立ち上り、絶えず身体にそって這い上がってきていた。

そしてさらにEMDRが施されると、性的な高揚を持って、身体が重なる感覚が迫ってきた。
それはとてもリアルだった。

この一つの体験が私を変えた。


教授はこれは光の一滴の一側面です。とおっしゃった。

私はまったく一新したかのように元気と明るさを取り戻した。


が、闇はどこまでも深い。。。


家に帰り、意気揚々とにゃーちゃんのヒーリングをしようと横になった。

とたん、ムクムクと思考が湧きに湧いてきた!きた!セカンダリーだ!

私は覚悟をした。私のやることは分かっていた。これを光に溶けこませることだ。

教授への疑問、今までの不信、されてきたこと、傷ついた言葉、
この道への不満、皆への裁き、新しい風さんの言葉の気持ち悪さ、
旦那さんの情けなさ、神3の分からなさ、それを批判する私への批判。。。

あげつらったら切がない!

強烈な言葉が浮かんだ、
『教授の言うことは、こうだ!
第二ラインがうまくいかないのは、
すべて私のせいなんだとなるようになっている!」

えーー???!!!これ私の批判?
思ったことない!でも、そうかもしない?
ムリだ、処理できない!

圧倒されるばかりだった。

だんだんに分離が始まり、収拾がつかなくなっているところに、
身体を伴った極度の不快さ、呼吸が出来ない、吐くことも吸うこともできない。
向き合おうとしても硬直する。

ありとあらゆる不快さのありったけが、私を包み込んでいた。

渦だ!

それは紛れもない渦潮として私をもみくちゃにした。

私は溜まらず、批判しているはずの教授にSOSを出そうとしてパソコンを開いた。

そこに、たまたま開きっぱなしにしているpeerブログの記事を目にした。

『悪意』『グルグル廻る』『カイノス』と順に読んだ。

スーーーッと取り巻いている不快の渦がなくなった。

意味は分からない。ただ入ってきたのは、イエスさまに委ねることこそが、なされるべきことだ、という理解だった。

私が書いた記事が今になって私を救ってくれた。。。不思議なことだ。

私は自分のために記事を書いているのだと知った。