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~ナザレのイエス~

神依乃 栖子

 

目覚めた時、いつなのか、どの地点にいるのか、分からなかった。

この道ではよくある体験。

しかし、この日はそれとは違っていた。

 

目覚めてすぐ、全く時間感覚がなかった。
朝なのか?、昼なのか?、夜なのか?

 

少しずつ頭に情報が入ってくる。
部屋が明るい。。。ということは朝か昼だ。

 

私はいつ眠った?
過去がない。プツリと消えている。


時計を見る。6時半。。。。

夕方の6時半にしては明るい。。。ということは、朝なのか?


何にしても、過去がないのだから、その時その時の情報で判断するしかない。


まぁ、いい。朝ということなのだから、とにかく朝のいつものやることをするだけだ。
寝室を出て、階段を降り、リビングへと向かった。


娘がリビングで、スマホ片手に寝落ちしている。
猫たちが餌ちょうだいと足元に絡み付いてくる。

間違いない、今は朝だ。


それにしても不思議な感覚。
私だけがそのいつもの情景から切り取られているようだ。

 

いつも通りしているこの子達は、まったく違和感を感じないのか?
猫たちの頭をクシャクシャと撫で、餌をあげる。

 

その後、慌ただしく過ぎ去る時間の中で、
私はいつの間にかいつもの風景に溶け込んでいった。

 


同日の昼、昼寝をして仮眠をとった。

目覚めた時、私はいくつだ?とふいに思った。

48歳。応えはどこからともなく浮かんできた。

うん、48歳か。。。

一旦は納得したものの、

次の瞬間、えーーーー???!!!よんじゅうぅはちぃ~~~???
その年齢にビックリしてしまった。

おかしい、なんでもうそんな歳なんだ?
おいおい、あと十数年で死んじゃうかもしれないじゃない!

10年なんてスグだよ!この48年、私は何もしていない!!!
このままじゃ、何もせずに死ぬことになる。。。

 

布団の中で目を凝視したまま、固まってしまった。

とても怖かった。
このまま死ぬということが、今まで何もしていなかったことが。。。


こうしていても仕方ない、起き出しリビングに向かうが、
いつもの生活に戻るのが怖かった。

この自分を見られるのが、どこか怖かった。
子どもたちが普通にしているのが怖かった。

私は何もしていない。。。そして、このまま死ぬ。。。
それだけが強烈に私を揺さぶっていた。


そして今日、セッションでその話をおぞうたまにした。
おぞうたまはすぐに私の体験を理解されているようだった。

 

おぞうたまは、こうおっしゃった。
「この二つの体験は、イエスさまが与えてくださったものです。

 

朝の体験は、浅くは、この道では時折ある体験です。
中には深く体験することもありますが、そのうち慣れます。

 

昼間の体験は、死と対面している時は常にそれがあります。
死と隣り合わせである人は、その感覚があるものです。

しかし、中にはそれを一生感じないで死ぬ人もいます。
眠ったまま、死ぬんです。消えちゃうんです。
通常、皆は眠りながら死にます。この世はそういうもんです。

 

さて、このことで分かるあなたの問題は、
今まで何もしてこなかったことではないですか?」

 

まさにそうだ!
早速、いつものセッションが始まった。

 

私はこのところのセッションで、
問題を提議して統合のワークをすることを重点的にしている。

その場でおぞうたまの指示のもと、統合のワークをする。


処理後、私の朝の体験(第一の体験)は、どう見えますか?と問われる。
「はい、時間のない体験です。」

では、昼間の体験(第二の体験)は?
「はい、気づきの体験です。」

 

では、私(おぞうたま)の目から朝の体験を見て、どう見えますか?
「明るいです。光の世界で目覚めているみたい・・・」

では、同じように、私(おぞうたま)の目から昼の体験を。
「暗いです。この世を見ているみたいです。」

 

さっきあなたの目が見たときとの違いは?

「主観と客観でしょうか・・・私の目だと、この世の私が見ていますが、
おぞうたまの目からだと、この世ではないところから私を見ています。」

 

おぞうたまはおっしゃった。
「私(おぞうたま)から見ると、あなたの第一の体験は、光の世界で目覚めた体験。
第二の体験では、この世で目覚め、この世を直視した体験です。」

 

では、そのまま、私(おぞうたま)の目で、
何もしていないという先ほどのあなたの問題を見て。

ハッとした。
「ここから見ると、それは問題ではありません!」

おぞうたまは、「はい、そうですね。」と話を続けられた。
「私(おぞうたま)の目からみると、光の世界から見ているので
何もしていないというの問題ではないのですよ。

何もしていないというのは、この世の問題です。

結局のところ、この世では何をしようとも、何もしていない。
すべて消えるのですから。。。
あの栄華を誇ったエジプト文明ですら、今はないではないですか?
いつか全部なくなっちゃうんですよ。」

 

「でも、私がさっきおぞうたまの目から見たとき、私は光の中で何かしていました。」
そう、おぞうたまにお聞きすると、

 

「外側から見たとき、外側の世界の視点が与えられたのでしょう。
そこではあなたは何かしているのです。

いいですか?この世ではすべてが消えるんです。
死んでしまうこともそうです。

それに過去はだんだんと消えてしまうでしょう?
体験も残しておかなくては消えるんです。

 

だから、ここにこの道の痕跡を残す。

あなたには、書くことがあるでしょう?
どんどん溢れるままに書きなさい。

体験を、イエスさまの言葉を、私(おぞうたま)の言葉を。
それがあなたのやることです。

 

さらにこの道についてもう一つ言えば、この道は数学でいえば、非線形
通常は線形の理解で解析できるものが、この道ではできない。

つまり、通常は水の入ったコップを傾けることで、
流れる水の行く道が予測できますが、
溢れるコップの水は、どこから溢れるか分からず、
どこへと向かうのか分からないのです。

それを受けるお盆がなければ、つまり枠を設けなければ(淵がなければ)
どこまでも予測不可能な非線形。。。」

 

ここまで聞いて、自然と”溢れる泉”が脳裏に浮かんだ。

この道は溢れる泉だ。
溢れる泉がこの道であるのなら、私も沿う。

 

この世ではすべてが消えてしまう。
しかし今、朋に向けて、この道の痕跡をここに残すと決めた。

私はただ媒体となって、動かされよう。


私の名は「神依乃 栖子」 
「カイノ スミコ」

 

私の投稿はコラージュ。
投稿の中身に時系列はなく、あるべき場所もない。

溢れんばかりの与えられた体験と気づき、
「私」の規定はもはや用をなさなず、そのままをここに載せるのみ。

 

痕跡をここから汲み取られますように。。。