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~ナザレのイエス~

洗足の儀式~萌芽 

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朝、靴下を履いたら、チカッとした痛みが走った。
「痛っ・・・」

小学校3年か4年の記憶が蘇った。
当時イジメを受けていた私は、下駄箱に置いてあった上靴の中に
ガラスの破片が入っていることを知らずに履いて足の裏を切ってしまった。

履いていた靴下からじわっと血が滲んでいる。
保健室には行かず、すぐに近くの水道まで片足とびしながら行った。

膝ぐらいの高さの水道台の上に、切った方の足を乗せ傷口を洗う。
水道の蛇口から流れる水、足の裏から流れる血。

私は水道台の上に乗って自分のスネから下を蛇口に寄せ、
水が足を勢いよく伝いながら流れていく感触を感じていた。

バシャバシャと足踏みをした。
血と水が混じりあって排水溝に吸い込まれる。
傷口の痛みはあったが、胸の痛みの方が強かった。

記憶はそこまでだった。

当時のことはすっかり忘れていたが、その場面だけがふっと浮かんで、
あぁ。。。辛かったな、あの頃は。。。あの時と同じ痛みが胸に走った。

ちょうど今日はセッションの日。これに取り組もうと決めた。
いじめのことはこれまでもいくつか取り上げて処理はしていたが、

この記憶は初めてだ。

でもたいしたことじゃないから、
すぐに処理出来るだろうぐらいにしか思っていなかった。

EMDR、おぞうたまの指を目で追う。
「悲しみ」「怒り」「何もない」「苦しい」「息ぐるしい」
「赦さなくてはならない」「この自分とお別れしなくてはならない」
・・・・

おぞうたまが急に動作を止めた。
私は目を閉じたまま、独特な静けさに包まれているのを感じていた。

「光に留まって、これを光に溶け込ませて・・・」おぞうたまがおっしゃった。

私はヒーリングの要領で光を呼び、ひたすら留まった。

あくびの連発。。。アフアフとしている。
涙が出てきて、鼻水でグシャグシャになる。

しばらくすると、素っ頓狂な笑いが飛び出した。
奇妙な高笑い。光に戻る。
また笑いが吹き出す。更に光を呼ぶ。

何度か繰り返すと、今度は吐き気だ。
胃袋から突き上げてくるものがある。「おえっ。。。おえっ。。。」

普通に座ってはいられない。
片手をついて体を支え、さらに「オエッーー!」。。。これは、タマラナイ。。。
胃袋が痙攣を起こしているみたいだった。


どれぐらいしていただろうか、しばらくすると嘘のように吐き気がなくなった。

私は体を真っ直ぐにして座り直した。

静寂があることに気づいた。

そこに何があるかと問われる声がした。

「凪(なぎ)。」

そこからまたEMDR再開。

「人型の影」「影が広がり」「山脈が見える、その上部はうっすらと明るい」
・・・

右手から強烈な光を放っているものが見える。。。「あぁ、朝日だ」
光は更に広がる。

ふと頭をよぎる。地球生命体誕生の場面。
マグマの海、空からは隕石は降ってきては混沌が地を覆っている。
その混沌を越え、地球に生命体が生まれた。

誕生。。。
むき出しの大地に芽が生まれ、それらが動いている!

「深い」「濃い」
生じていることは単語でしか表せなかった。

緑の木々?そこに充満しているのはエネルギーなのか!生命力なのか。。。!
空気とは呼べない、もっと潤いに満ちている。

私はハッとした。これは記憶だ!

エスさまの国の記憶。

そこは生命力に溢れて、呼吸がとても深い。
入ってくるものはこの世の空気のようにカサついた空虚なものではない。
濃密な何か・・・呼吸は生命の源泉が自ずと入ってくる自然なものだった。

しばらくジッと浸るかのように呼吸した。
そこは私のホームだと気づいた。

「そこに何がありますか?」おぞうたまの声が遠くでする。

「凪(なぎ)です。」

私は見ているものを描写した。

「凪(なぎ)、水平線が見えます。水平線の周りは光で溢れ、光はまばゆい光を放っています。
水平線は太陽の光を浴びて、太陽の光を反射しています。
水平線の光はこの世を照らし出しています。」

おぞうたまが
「水平線になれるといいですね・・・」と静かにおっしゃられる。

「もう、なっています。」
その時私は、水平線だった。水平線の周りで光が踊っている。

それはキラキラと輝く太陽の光を浴びてはしゃぐ。
弾けては跳び、弾けては跳びを繰り返す。

水平線。

あるように見えてない。
遠くで眺めれば見えるが、近づくとそれはどこまでいってもない。。。

それはイエスさまの国とこの世の二分をいつのまにか一つにする不思議な線だ。
メビウスの輪。これなんだ。。。

私は光に囲まれていた。まるで光の箱になっているかのようだ。
私はずっと護られていたことを知った。

光はいつもあった。


そっと目を開けると、おぞうたまがポツンとおっしゃった。

「洗足の儀式・・・」

私はハッとした。最初に取り上げた記憶。
あの時、私は足を洗っていた。

そうか、そうだったんだ!
今日、これを取り上げたのは「洗足の儀式」だったのだ。

「この世から足を洗う」

私は9歳から10歳のこの頃にすでにこの儀式を象徴として受けたのかもしれない。
いや、今、過去が塗り替えられたのかもしれない。
あの辛かったいじめのシナリオが、こんな素敵なシナリオに変えられた。

エスさまは、どこまでも私を新しくしてくださる。


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以上は11月8日の記録である。
そしてその数週間後、新たな展開が起きた。


”ヒーリングは愛である。”
私はこのことになんの疑いも持っていない。
しかし、イエスさまの愛とはどこか違う気がしてならなかった。

このことをおぞうたまに話すと、おぞうたまはおっしゃった。

「ヒーリングは確かにこの世の愛を持って始める。
しかしその愛は”すること”。doingだ。イエスさまの愛は、することではない。
being、”存在”だ。」

存在・・・

おぞうたまは、そのままグレースのヒーリングをするようにと促してくださった。

目をつむり、そっとグレースを思った。
グレースと私はすでに一つであり、光でもある。
グングンと上へ上へと吸い込まれるかのように上昇していた。
ヒーリングをしているのは誰でもない。

おぞうたまがつぶやいた。

「光が光を癒している・・・」

まさに、まさにそれだった。

存在・・・
この言葉、もう愛になっている。そのまま、あるがままが”愛”だ。

今までしていたヒーリングとは全く違っていた。
これほどの愛が、この世にあるとは到底思えなかった。
次元が、世界が、どうやっても交わることのない全く別のものだ!

そして、私が今体験している”ヒーリングは愛である。”
この体験もすぐに更新されていくことを直感した。

新しさが、さらに新しく!次々と更新されていく。停滞することは一時もない。
まるで光の道を一歩一歩歩んでいく、その動きさながらだ。

ヒーリングは、この愛を自分に芽生えさせる。
この愛は自分のその先にある。

ヒーリングする対象は自分の外側に現れた自分。
自分とは架空のものだ。幻想だ。

その幻想をヒーリングによって次々と光に溶かしていく。
より希薄になった自分の先に、見えてくるもの。。。

それがイエスさまの愛。。。

しかし、それは次々に更新され、常に、すべてが新しい!
この世の概念ではどうにも捉えようがないのだ。

この体験後、私は家に帰り、あの『洗足の儀式』の時の記録を読み返した。

『誕生。。。
むき出しの大地に芽が生まれ、それらが動いている!』

これを読んだ時、私はハッとした。

ここに書かれている芽。
この芽!あの時見たものは、この愛だ!

これに気づいた途端、
むき出しの大地とは、まっさらになった私たち、朋のことだ!と、
気づきが次々に展開していく。

そう、そうなんだ!
たくさんの芽が生まれていたあの場面こそが、朋らの愛の芽生え。
その表現だったんだ!

なんてことだ。。。もう与えられていた。。。

なんて素敵なビジョンだったのだろう。
ムクムクと動き出す愛の芽。。。

それは美しく輝く生命だ。


『朋へ』

これだけは伝えたい。
私たちは時同じくして大きな愛のもとに生まれる愛の萌芽なんだよ。
朋よ、あなたはこの全く新しい愛に目覚める者なんだ。