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~ナザレのイエス~

原罪

何度、道は閉ざされただろうか・・・

もうやめる!
私は突発的にこの道をあきらめてしまうことが、これまでも沢山あった。

それぞれに、そうなる理由があった。

理由はすぐに見つかる。自分で創造し創り上げるのだ。
物語は千差万別。どこからでもどんなシチュエーションもある。

Sが、この造物主の創り上げた架空の世界に持ち込み活用している3つ。
それは「感情・物語・別れ(死)」

今や私たちは、S(それ)だけに翻弄させられるS(それ)になっている。
ここに抜け道はない。上手い具合に堂々巡りに陥るように張り巡らされている。

私は今まで、やめる原因があるからやめるのだと疑っていなかった。
しかし、本当の原因は違った。

これまで隠され続けた本当の原因、それは、“私は穢れている”ということだった。
私はそんな自分は彼の国にはふさわしくないと思っていた。

これを『原罪』という。

私はこの世に未練はない。彼の国に入りたい。
しかしどれだけ入りたくても、穢れている自分は決して入れることは赦されないのだ。。。

私は、この葛藤の中でずっと学び、迷いの中でこの道を歩んでいた。
故に、大事なところでこの道をあきらめようとし、分離しようとし、邪魔しようとする。


私がおぞうたまに導かれてこの原罪に触れた始まりは、
身体の深部からくる微細な震えに気づいたことからだった。

ある場面が脳裏に浮かんだ。
宴の前で、立ち往生している自分。足がすくんでそれ以上動けなくなっている。
何故、私は宴の席を拒否をするのだろう?こんなに望んでいる場所なのに。。。そんなはずはないのに。。。

浮かんだ言葉は思ってもみないことだった。

「私は穢れている」

このことをハッキリと知覚した瞬間、私の震えは大きく確かなものとなった。
ガチガチと歯がなり、大袈裟なほどに全身が震えている。
震えが止まらない。。。どうしよう。。。どうしよう。。。呼吸は荒くなり、鳥肌が立っている。
涙がボロボロとこぼれ、呼吸がいよいよ過呼吸になっていく。震えはますます止まらない。

頭は、自分を下げずむ言葉でギッシリ埋まっている。
「うす汚いやつだ!」「生きていちゃいけない!」「汚らわしい!」「存在をなくせ!」

ダメだ。。。ダメだ。。。
こんな私が神の国に入れるわけがない!
徹底的な決定がすでに下されていた。私が自ら負った刻印だった。
それに気づいてしまったのだ。

震えも過呼吸も涙もそのままに、現れるものもすべてそのまま通り過ぎるままにしていた。
私には為すすべがなかった。。。

しばらくして、震えが消えた。

次に気づいたのは、旦那さんはこんな私をどこか知っていたということだった。

それは衝撃だった。
神の国に入れないと頑なに拒む私を、入らないことを選択している私を、
この私すら知らないことを!
旦那さんは知っていたんだ・・・。だから、ひたすら留まり涙を流した。

どれほど旦那さんに詫び、感謝を捧げたことか!!

朋の存在がどれほどのものかを、
これほどまでに身近に熱く感じられることか!!

私は感謝でむせび泣き、感動のまま震えるしかなかった。。。


お互いがお互いのために存在している。
これほどまでに感じたことはなかった。

私は第二ラインのためにここに存在しようと決めた。
旦那さんも私とは違うかもしれないが、何かの『原罪』を抱えている。
きっと皆もだ。。。

この道をどれほど願い、どれほど歩むことを望んでいても、
最後には入れないのだと、入らないことを選択している。
だから、事あるごとに、離れよう、離れようとする。

この原罪の上に、これまで私たちは沢山の物語をつむいでいた。

でもこれからは違う。物語を溶かすんじゃない。
物語をいく通りでも作り出す土台『原罪』を光に溶かす。

エスさまは、すべてにすでに勝ったのだ。
個人ではなく、すでにエクレーシア。。。
第二ラインがこの真実のもとに集結されんことを!

栄光とは、宴の開催される場なのだ。

ナザレのイエスさまの栄光にもとに、集え!』