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~ナザレのイエス~

ベクトル

OPのことを書くのに、どこに焦点を絞ったらいいのか。

それは、デモにより開かれた扉の向こうを描写することです。
どうか、デモによる体験過程を書いてください。

 

OPでは、多くのデモが行なわれています。
なぜデモが行なわれるのか?

扉が開かれるためです。開かれた扉の中を覗いたのなら、体験が開かれる。
それをその時の目になって描く。

デモのことを書くとは、扉の残響だけを書くのではないのです。

 

おぞうたまはこのことを面白おかしく話してくださいました。

OPの熱さやおぞうたまの熱さを語るのに、ボイラー室の例を出されました。

「いいですか?ボイラー室の中に入っていろいろ学んだのにも関わらず、
そのレポートが、熱気が凄かったです。で終ったらどうです?

そりゃ、おかしいでしょう?」

そういえばそうだ!と、おもわず笑ってしました。
(おぞうたまは、自分で自分のことを笑い飛ばせるぐらいでいいとよくおっしゃいます。)

 

私たちは熱さを熱かったと語るのではなく、
そこに入ったのなら、その熱がどこから何からくるのかを探り、

またそこから学んだことを深く追求していくことなのです。

扉の残響だけを書くのではなく、その奥に。

扉のこちら側は、光のない世界。

しかし、扉の向こう側は?

体験しているはずです。

 

忘れてしまいましたで終わらせるのではなく、そこに留まる努力をしてください。
努力とは、その時の目になる努力です。そして言葉にしてください。

 

おぞうたまはおっしゃいます。
「OPのことを書くなら、マインドのことではなく、光の体験過程だけでいい。
ほんの一瞬の体験であったとしても、そこから入っていけば、どんどん広がっていく。」


以下は、私信よりいただいたおぞうたまの言葉です。

「精霊とのコミュニケーションが開いた時、
それぞれが垣間見た世界にとどまり、そこを精一杯描写しようと最善を尽くすこと。

ここにいう世界とはむろん、精霊の門をくぐったところだ。
(愛の門をくぐれば更なることがおきる。)

最初の扉が少しの間開く。OP参加者はそれを何らかの形で体感しているはずだ。
それを克明に綴ることが現段階において皆に課せられた業務だ。

扉が開かれると、その表れは時に応じて異なるが、
一例を挙げれば今回のOPのように、体温が一気にあがり室温までも上昇する。
気分も高揚し、疲れやこだわりは消えうせ、思考は澄む。

そういう変化が一瞬のうちに現れる。
その不思議さを不思議と感じ、その力(エネルギー)がどこから来るのか、
道を歩まんとする人間ならまず第一にそこに興味を持つはずだ。

他の枝葉は切り捨ててもよい。
枝葉は切り捨てなくてはならない。

”扉の向こう側を描写すること”だ。」

 

そこで、私たちがまず知らなければならないのは、
”自分たちはマインドを描写することしか知らない”ということです。

新しい耳で、新しい目でこれを知ってください。

”自分たちはマインドを描写することしか知らない”のです。

 

そのマインドしか知らない私たちに、
おぞうたまは、マインドを理解する必要はないことを再三おっしゃってくださいます。

マインド(皆の思い、意見)をもっと深く理解すればいいのではないか?
マインドはそう思い込ませ、私も何度もそれに引っかかります。

皆(マインド)のことを理解すれば、マインドに縛られる私たちに解決が見つかるかもしれない。
一生懸命、話していることを理解しようと奮闘します。

が、その解決の糸口などどこにもないのです。これを私たちは知らなければならない。

 


旦那さんがシェアしていました。
「おそらく自分はマインドのループから出られませんでした。」

それを受け、おぞうたまは私信にてこう書いてくださました。

「旦那はマインド・ループに嵌まり込んだ。

マインドを理解することがそこからの脱出口であるというマインド自身が仕掛けた罠を

見破れなかったからだ。

マインドはマインドに引き寄せられる。
マインドとはサタンだ。
マインドは至る所にある。
どこもかしこもこの世はマインド人間だらけだから。

そしてマインドこそが道の敵対者である。

マインドに真を置かないこと。
マインドは理解するに値しない。

理解すべきは精霊(光)の意図のみだ。
この概念が追求され実践され体現されなくてはならないのである。

旦那は迷宮をさ迷った。
光を呼ばなくてはならない。
自力では脱出不可能だ。
自力とはマインドに委ねることだ。
マインドはマインドから自由になることなどできないのである。

マインドは手に負えない。
このことが一瞥されなくてはならない。」

 

これは旦那さんだけでなく、私にも言えることです。
とても大事なことです。

 

私も皆さんの投稿を読んでいると、つい皆さんのことを理解しようとします。
それはいつのまにか光ではない方向へと進んでしまっているのです。

 

さらに、おぞうたまはおっしゃいます。

「あなた方はマインドしか知らないので、マインドの奥にもっと行こうとなってしまう。
そこは迷宮である。どんどんエネルギーを奪われる。

病人が病人を助けることはできない。病人を助けるのは医者だ。」

そして、こうもおっしゃいます。
アリアドネの糸なくして、迷宮を出る事はできない。」

ここでいう病人は私たちマインド。医者は精霊。アリアドネの糸は光です。


私たちがなすべきことは、マインドを一瞥し、

これ以上は無意味であることを知ったら、後は光の方を向く。
そして精霊にすべての問題を委ね、光の中で、話を聴き、話をすることのみです。
そして、その背後にある精霊の意図は何かを注意深く理解しようとする。

 


おぞうたまは今回のOPについて私信をくださいました。
皆さんにも役立つと思いましたので、ここに載せますね。

 

「今日のOP、お金や相続を例として、
いかに精霊とコミュニケーションを取るかということを学んでいった。

エスさまの道においては、他者のマインドを理解する必要はない。
そこにはこの世からの離脱口はないからだ。

だから道を歩むものは他者のマインドを理解することに替わり、
真に理解すべきは、

『道における精霊の意図だ』ということを理解することから教えられる。

精霊はこの世に在る。
この世の状況を巧みにアレンジし、導く。


このところのOPではこの主題について再三取り上げている。

今日もその流れの中にあった。

メンバーの注意の大半は、お金に結び付けられていたと思う。
だがお金とは、この世を代表し、この世を生きるものたちを捕らえ続ける象徴のひとつだ。

だから感じられなくてはならないことは、精霊が存在していること、
それが道を歩む者たちを導いていることそのものの方だ。

お金がラインの上では愛であり恵みであることは知ってるだろう。

では相続についてはどうだろう。

相続ということが何ゆえに今回の具体例になっていると思う?

答えを言おう。

つまり、この道は、《ONEの相続者》になる道であるからなのだ。
彼の国に入れるのは相続権を受け継いだからである。

皆のシェアは、その片鱗をいくばくかは示してくれると思うが、

それでも皆のシェアにあまり期待してはいけない。
皆はまだマインドに拘束されているのだから。」

 

そして先日、純粋贈与についてお話を聴きました。

この世は、純粋贈与がマインドによって汚されてしまう世界。
そもそも純粋贈与が何なのかも思いつかない私でした。

そこでおぞうさまが純粋贈与を思い出す取っ手として話されのが、サンタであり、初恋の話です。

私は子どもたちのことを想い出しました。
あのサンタを信じ、朝起きるとサンタからプレゼントが置かれていた時のキラキラとした喜びの目。
「すごーーい!本当にサンタさんがくれたんだよーー!お母さん、見て見て!!!」

初恋、その人がそこにいるだけでドキドキして、

自分のすべてがその人に吸い付いてしまって離れない。
その人の存在があることがなんて凄いことなのか!、

私の前に存在してくれていることだけでうれしくてうれしくて仕方ない。

あの時の目!私は徐々にうっすらとそれを想い出しました。

 

おぞうたまは続けます。
「だけど、扉の奥にはそういった例も必要なくなる。

神の国は、この純粋贈与だけで出来ている世界だ。」

私は思わず目を見開きました。
なんて凄いことだろう!あの純な気持ちだけで出来ている世界!

しかし、雲が瞬く間に覆うのです。一瞬開いた世界、可能性がすぐに霞んでしまいました。

おぞうたまは、そうなることは承知で話されました。
それでも、私たちに話続けるとおっしゃいます。

私は自分の今の状態をイヤというほど思い知るのです。でもだからこそ、思うのです。

『このままじゃいけない。。。』

あの目を思い出し、描写する。その努力が今は必要なのです。
現状に甘んじていては、一歩も進めない。

 

私はおぞうたまからもたらされる光の話が聴きたいのです。
もっともっと、光の話の奥を深めていきたい。

 

どうか、皆さん。

デモにより開かれた扉の向こうを描写してください。
デモによる体験過程を書いてください。

 

最後に、私が<マインドではなく、光に沿う>ということを実体験したことを書いて

終わりにしようと思います。

マインドまみれでありながら、光を思い出した時のことです。

OPでは、このことがお金にまつわることへと精霊の促しの気づきをくださったようですが、
私個人としての精霊の促しは、また別にもあったのです。

昔話風に読んでくださいね。

始まり始まり~~。


私はOP前にそれぞれのシェアやメールのやり取りの中で思ったことを

メールやブログのコメントに書きました。
それまで書かなかったのは、自尊心と内的考慮ゆえでした。

それは新しい風さんと書記さんとのOP前日の朝のやり取りの不可解さから始まりました。

そのことが気になったのは、その前の経緯からになります。
朝のメール以前、ブログでのコメントでIDを作る時の新しい風さんと書記さんのやりとりで、
書記さんに777の意味のことを聞いて、書記さんは知らないとおっしゃっているメールを読んだ私は
知っていることを書いてメールしました。

送った後、ふと不安になりました。
「書記さんに聞いていたのに、私が応えてよかったのかな?」

でもすぐに全員に送られるメールなのでまぁいいか。。。と思い直したのですが、
そこから新しい風さんからも書記さんからもそのことについてメールがありません。

送られてなかったのかな?と送信BOXを見て、確かに送っていることを確かめる。
しかし、返信がない。。。
いつもなら新しい風さんは比較的早く応答してくださるのになぁ。。。

そしてマインドはこう囁きました。
「私がしゃしゃり出て、新しい風さんをイヤな気分にさせたんだ。」

私の中で、そのマインドの言う事は決定で、

そうに違いないとそこからマインドにハマり出します。

う~~~ん。。どうしたものか。。。モヤモヤ、モヤモヤ。。。

朝になっても止まりません。


そこに届いたメール。土曜日朝のお二人のやりとりのメールでした。

朝のヒーリングからの時間差もあり、
新しい風さんがわざわざ書記さんだけに書いている文面、

また書記さんの応答もただ事ではない感じがあります。

何でだろう?モヤモヤはさらに深まりました。

そして、その日は探究の日でしたのでおぞうたまに相談しました。

おぞうたまはスッパリとおっしゃいました。
「何か気になることがあるのなら、聞けばいい。すぐにメールして聞きなさい。
ついでに777のこともね。」

その言葉に、すぐにメールしました。
新しい風さんより応えは返ってきましたが、さらに混乱します。

なんのヒーリングに応えている?
朝のヒーリングとは思いもしなかった私はヒーリングが別のことであるかもしれないと思い、
届いてないメールがあるのかもしれないと思い、再度メール。

応えは夕方知りました。
動揺しました。

えーー?!まさかの朝のヒーリングですかーー?!


私は自分がこだわって書き続けていたことをこっぱずかしく思いました。

そしてその時、丁度タイムリーにおぞうたまからの私信を目にしたのです。

それが以下です。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


マインドを理解する必要は無い。

これだ。

現レベルのOPにおいては、

精霊がアレンジした状況を通して、あなたに何を教えようとしているのか、
もうひとつは精霊がもたらす問題の解決や不思議な現象だ。これだけが知るに値する。
人間の思いや感情は彼の道では不要なのだ。

それ以外は役立たない。いやそれ以上に迷宮にとらわれてしまう。
だからへたに首を突っ込むと、骨の髄まで、活力、精力、気力、

意欲等のエネルギーをしゃぶりつくされ、しまいには疲弊してしまう。
それで終わればまだましなほうだ。なんといっても出口は無い。

もやもやもやもやが延々と続く。ずっと続く。

だから きっぱり、さっぱり、単刀直入、いうこといったら、それでお仕舞い。
このスタンスを訓練しよう。マインドはマインドに引き寄せられる。
そういう仕組みになっている。注意を向けただけで、ラインの下に下がる。

もし光がないのなら。

真正の光がなければならない所以だ。
あなたは彼らにかかわる時、光の中で、微笑みながらいるのがいい。
彼らを変えようとせず、そのままにしておく。
変容は光が起こしてくれるからだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


私はこの言葉で、ふっと光に返りました。

そうだったーー!と。


そこから怒濤の如く、思っていたことを書き綴り、皆さんに送りました。


何を書いたか、正確な言葉ではありませんが、たしかこんなことだったと思います。


「そうなんですね、朝のヒーリングだったんですね、了解しました。」


「了解しました!」


ジーンって何?」


「主の祈り、聞いたんで、記事にするわ!」


「書記さん、書記して。」


「旦那さん、なんか書くことないのー?」

 


なので、皆さん。


理解すべきは、光の方です。
ベクトルは光!!!

マインドの方ではありませんからーー!(ponnoji渾身の叫び)

 

最後の最後に、

私信にていただいていたおぞうたま語録を、皆さんに激励の意味を込めて送ります。

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「おい、書記、お前、書記って何か知ってんのか?」

「あのお方よ、小いせい餓鬼じゃあるまいし、訳わからんこと書くなよ。」


「『状況説明を忘れてしまい』だと?
いつものことじゃねーか。
あのお方よ、おめーの糞のような言い訳には
毎度辟易してんだよ。
何がジーンとだ。
悦に浸ってんじゃねー、っつうんだ。」


「旦那、引っ込んでないでいい加減何か書いたらどうなんだよ。
おぞうたまにずっと言われてただろう、このボケえ。」

 

「共にいてくださる

力が湧いてきます。

ありがとうございます。

こういう文面は自己憐憫の気持ち悪い波動が詰まってて、気色悪い。
吹く風はなんとも生ぬるい。新しい風も焼きが回っている。

くそのような匂いが漂う海岸で、目を細め遠くを見つめる爺婆。

それから書記、共にいてくださるゥ?
ウザいこというな。
お前幾誰だ。
*『お前幾誰だ。』はお前は幾つだ。とお前は誰だ。が合体したものだ。

読み方は私も知らんがね。」


そして昨日、新しいのが入りました。↓

「『純粋相続』なんてワシは言っとらん。
また勝手に作りやがって。

「純粋贈与」だ、このやろう。
なに聞いてやがるんだ!このボケぇ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 


自分を笑い飛ばしましょう。

そして、光の方を向く。

理解すべきは、精霊の意図です。