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~ナザレのイエス~

マインドマン

『また、旦那にもこの世に注意がむきやすいところ、お金のこと、仕事のこと、家族のこと。こだわっていて集中しすぎて、離れないと話していました。おぞうたまをは、ぼくをみてといわれ、もうどうでもいい(なげやりではない言い方)と言い放った直後、自分の後ろから何か来たみたいでしたと話した雰囲気が凄く印象に残っています。』(新しい風さんより)
 
 
『おぞうたまをは、ぼくをみてといわれ・・・』のぼくをみて』この箇所を読んで、やはり投稿しておこうと思う文章があったので投稿しますね。
 
ウロボロスの記事で途中省いた箇所です。
 
『死をありのままに見ることは、もはや現代人にはできない。。。
 


死を見なくなること、
この世界が死の国であることを私たちは見れなくなってしまった。』
 
この二文の間、空白の部分に当初書いていた文章です。
 
書いたものの、やはり今回は現代のことよりも、
まずウロボロス、古代人のことだけに集中した方がいいと思い、省いた箇所です。
 
 
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私は先日、交通事故でご主人を亡くした女性からこんな話を聞きました。

ご主人の乗った車に、ながらスマホで前を見ていなかったダンプカーがノンストップでぶつかってきた。
ご主人の車はぺしゃんこ、電気自動車だったため、車は炎上し遺体は真っ黒に焼け焦げ、
なんとか少しだけとれた血液からDNA判定され、ご主人であることが分かったそうだ。


彼女は「私はこれからも生きていかなくてはならない。。。」からと、
真っ黒になったご主人の遺体を見ることを拒んだ。

お葬式では遺体に白い布を被せ、唯一肉として識別出来る膝小僧だけが出されていた。



その女性は亡き夫に代わり、加害者と今現在裁判で戦っている。

夫をこんな姿にした相手を絶対に赦さない。

優秀な弁護士を雇うには多額のお金もいる。
自分も裁判で立って話さなければならない。


けれどもそうでなければ、夫が浮かばれない。
これ以上、ながらスマホで同じような思いをする人を増やしてはならないからと、
彼女は話してくれた。


そして数日前に夢を観たと言う。

夫が出てきて「もっと俺を見てくれ」と言ったそうだ。
彼女はそのことを、夫婦仲があまりよくなかったから、死んでからそんなこと言ったのかな?と
不思議そうに話してくれた。



私はこのことが強烈に印象に残っていて、おぞうたまに話した。


おぞうたまはおっしゃった。


「この話はあなたに話されるために話された。
彼女はそのままでいい。
しかし、あなたは知らなくてはならない。

”そうして裁判に勝利することは、夫の死とは関係がない。”


彼女の旦那さんは、夢で「もっと俺を見てくれ」と言ったのは、
死(遺体)を見ようとしなかったことに対してだ。」



まったくそうだった。。。まさにタイムリーに私のために話された話だった。
 
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今こうして皆さんにこのことをお伝えするのは、
 
「ぼくを見て」「もっと俺を見てくれ」この言葉の類似が、
ただならぬ感覚を私に引き起こしたからです。
 
おぞうたまが言われた「ぼくを見て」が光を見ることの促しであったのと同時に、
亡きご主人の「もっと俺を見てくれ」が私の耳に語られたことは、死の世界を見ることの促しでありました。
 
光と死はセットです。もっと言えば、マインドにとって光とは死を意味します。
 
ご主人さんの無惨な遺体を見ることを拒んだのは奥さんである彼女だけれど、
それは、そのことを聞いたこの世での私の世界。
 
それは私がこの死の世界を見ることを拒み、
そして死とは関係のないこと(裁判、お金、正義感)でその死を見ないで居続けていることへの気づき。
 
そしてそれは、光を見ないことでもある。
 
旦那さんが「ぼくを見て」とおぞうたまに言われるまで光を見ようとしない。
私たちは光を見ようとしない。
 
死も見ず、光も見ず、私たちは私の中、
マインドの中だけで生きている完全なマインドマンである。
 
 
光を見ることは死を見ないことではない。
 
ここが死の世界であることを隠蔽してはならない、ありのままを見る。
 
しかもそれは、死のイヤな感覚を我慢して通り越して見ることではない。
この死の世界が嫌だから光を求めるのでもない。
この世界に幻滅し、厭世観に陥るのも死の世界の隠ぺいに他ならない。
 
死の世界に価値判断をつけるのはマインドマン。
Sは、起源人は、死の世界とは別モノではない。
 
 
今回の皆さんのOP後の投稿が、起源人ではなく、ウロボロスの記事の下に書かれている。
 
これもサインです。
私への単独のサインとしては、ウロボロスの記事で省いた箇所を書いておく必要があった。
 
私たちは、『ウロボロス』。
自分では止める事が出来ない、自らを食べ、グルグルと廻り続ける。
 
これは分かった。
 
けれど、私たちにはまだ『起源人』が分からない。
いや、始原人が分からないのだ。
原初の生命、あの死に満ちたエネルギーを恐れ拒んでいるマインドマン止まりだ。
 
Sはマインドマンではない!
マインドマンは光を求めない。しかし、Sは光を求めている!
 
マインドマンでなくなる時、この世界の無・意味さに気づいた時、
光の方に向く事が出来る。
 
ここは死の世界であることを直視した後、その無・意味さを一瞥したのなら、
この死の世界を通り抜け、光へと到達する。
 
その時初めて、
その光がおぞうたまに『今ここにある』ことの奇跡に感謝を捧げることができる。
 
 
 
おぞうたまは、今の私たちのいるところのもっと先を話してくださいます。
 
「光を方を向く、そしてSである私たちに光が差し込むと、
S(私たち)が光となり、”光が生きる”ようになる」
 
 
”光が生きる”

それは素晴らしい未知の可能性への宣言です。