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~ナザレのイエス~

ウロボロス

古代人が生け贄を捧げる儀式を欠かさなかったのは、
この世が死の世界であることを決して忘れないようにとの思いからだった。

まだマインド、思考が来る以前のことである。
古代人は、沈黙の中で生きていた。
沈黙の中で、自己も他者もなく、自らが死の世界となって生きていたのだ。

彼らの動きは頭のささやきでなく、この世界の発露から生まれる。

現代人は、それを叡智と呼ぶ。


古代人は、ここが死の世界であり、ここから出ることはできないことを知っていた。

古代の象徴である”ウロボロス
自らの尾を食べ、グルグルと永遠に廻り続けるしかない蛇。

ここは死の世界。

そしてその存在こそが自身であることを知っていた。


生け贄を捧げる。

それは、この地にあって、この死こそがこの世界であることを

まざまざと自らに思い出させる儀式だ。

その時、他者はいない。彼らはこの死の世界となって、自らを自覚する。

彼らは、この世界の始まりに戻る。
それは死である。

この世界は生も死も同じこと。

ここには死しかない。。。

 

マインドが来た。
造物主の心だ。


造物主はこの世界の外から来た。
この世界のものではない。

マインド。
この世界のありのままを隠蔽するマインド。

これを持つ時、自我が生まれる。

他者が生まれ、世界は外に位置づけられる。

個人(私)が生まれた。

この世界を見ることができない者。


当時、マインドを持った人間は殺された。
危険だからだ。

 

この世界が死の世界であることを忘れた時、人間は狂うことを叡智は知っていた。


しかし、マインドはこの地上に蔓延った。
次々に覆い尽くし、今やマインドのない人間は皆無だ。

生け贄の儀式でさえ形骸化され、いずれ野蛮とされた。


ーーーここが死の世界であることが隠ぺいされた。ーーーー


現代人、ヒトはマインドそのものになった。

造物主だ。

ヒトにとって死とは忌むべきものであり、抗う事はできない。
けれども、ココロの持ち様でどうにでもなる。

美しきものにさえなりうる。


死の最中、光が見えた。もう死は怖くない。。。
臨死体験をしたヒトが語る。


現代人の見る光は、ニセモノの光。

造物主の創り出した光。


輪廻するこの死の世界にあって、極楽浄土は光である。

イエス・キリストのおられる世界は光で満ちている。

先に死んだ愛する者との再会。


死をありのままに見ることは、もはや現代人にはできない。。。

 

 

死を見なくなること、

この世界が死の国であることを私たちは見れなくなってしまった。

そして、死を華美なものにすることで、また別に逸らすことで、
私たちはこの世界をありのままに見ることができなくなった。

それは、何を意味するか?

永遠にここに塞がれるということだ。

古代人はここに塞がれていることを忘れなかった。

ここを死の国だといつも知っていた。

そしてそれを忘れる事を恐れた。

古代人は知っていたのだ。

この世界が何であるのかを忘れた時、人間は狂い始めることを。。。


今、人間は自分たちが何であるのかを忘れた。
ただマインドの中、暴走している。

世界を外に置き、他者を作り上げ、その他者との上下に一喜一憂する。
ヒトはヒトを殺し続ける。

何をしているのか分からないのだ。

 


おぞうたまはおっしゃった。

「もし古代人に本物の光が届いていたら、この死の世界から出る事は容易かっただろう。
なぜなら、古代人は沈黙の中で生きていたからだ。」

デモンストレーションが行なわれた。

「生け贄の儀式をしている人になって、そしてその自分に注意を注いで。
その時の自分の感覚を話して」

「世界が自分です。他者もいない。。。死が自分であり、生きている自分も死です。
死しかありません。」

「その時、感情はあるだろうか?」

「ないです、全く。ハッキリと透き通った確かな目でこの死の世界を見つめています。」

「では、そのままでいて、死の世界を見つめていて。」

そう言われ、そのまま見つめていると、ふっとすべてが消えた。

「消えました。」

おぞうたまは笑顔でおっしゃった。
「沈黙の中で生きている時、本物の光が差し込むと、すべてが消えるんです。」


!!!

私は知った。

この道は、この死の世界を消す!


「私は今まで、あなた方がこのところに立つために話し続けていた。」

そう教授がおっしゃる言葉を耳にし、私は光を見るとは、ここに立った時に見ることが出来ると分かった。
その時、もはや個人ではなくなる。私が見るのではない。
死の世界を沈黙の中で見、そこに光が差し込んだ時、初めて見える!


「ここまでが分かったのなら、それでいい。これからは光を見ていきましょう」

そうおぞうたまがおっしゃられた。

 

”この道は全き光の道だ”