peer

~ナザレのイエス~

ピーちゃんがいなかったら、今この道はなかった。


彼女が私に見せてくれたこの世での最後の姿。
それは懸命に動き、一歩一歩、歩む姿だ。

 

彼女に触れ、彼女と共にいる時、彼女は私を奮い立たせてくれた。


彼女はあきらめなかった。
彼女の全存在が私に生命を語りかけていた。


今まで感じたこともない愛が沸き上がっていた。

彼女の愛が分かった。
彼女は、全く新しい愛を、生命を私に与えてくれた。


ピーちゃんの歩みを経て、決して交わる事のない彼の国とこの地上に接点が生まれた。

彼女は私にその一歩一歩の歩みを見せ、最後、イエスさまの懐に飛び込んだ。

 


おぞうたまからです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


中国に黄山という山がある。


その頂上は見渡す限りの雲海に覆われている。
山水画の原点のような幽玄な風景だ。
その昔、人々はその山頂へ向けて石の階段を築いた。

その数、何と六万段。

果てしない作業だったろう。
けれど人々は諦めなかった。
放り出すなんてことはなかった。

そのお陰で現代の私たちも、あの絶景を何としても見ようとするのなら、
ものずごく大変ではあっても、一段一段登って行きさえすれば、
あの神秘の山頂に立つことができる。

 


この道は、私のピーがいのちをかけて築いた道だ。

ピーもイエスさまもこの道を築くのに命をかけた。
ヨハネはいまもハザマにいる。
みなどれだけの痛みをついやしたことか。

みな愛のためだ。


OPで何か指摘されると「今週はずっと落ち込んでいて、もう辞めたくなった」とか
「普通のばあさんとしてこの世でいきるのでもいい」などと安直に書いたり言ったりする、
その思いが正直なものというのは当てはまらない。

道を行く決断ができてる人には違うタイプの正直さが出てくるからだ。

ピー(ヨハネにもイエスさまにも)に本当の敬意を表してほしい。
そういう人にこそ歩んでもらいたい。


道は命をかけてできたのだよ。
それがわかるとは、態度(道に対する在り方)が根本的に変わる。

この態度こそ決断なんだ。
それはピーへの敬意(愛のはじまり)だ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー